国立駅南口から線路沿いに西へ向かうと、珈琲屋さん、パン屋さん、本のあるコミュニティスペース、自然素材の雑貨店、地場野菜のお店など、個人店が連なる通りがあります。
2019年、そこにはちみつとジャムのお店『はちみつCROSS』が加わりました。
「国立は、コアなお店が存在できるまちだと思います。アンテナショップを構えることに意義があると考える人が多くて、それほど地域にステイタスがあり、モノの背景にあるストーリーまできちんと受け取ってくれる人が多いのですね。私たちがここから届けたい“はちみつ”から始まった食文化のストーリーも、国立というまちに合っていたなと感じています」
ここは、国立と人が大好きな大学教授と建築コンサルタントが構えた、小さな実験室のようなお店。
店内にずらりと並ぶはちみつは、ほとんどが愛知県知多半島の老舗養蜂家『竹内養蜂』のもの。定番のアカシアやクローバー、栄養豊富な「そば」やお金持ちになる木と言われる「クロガネモチ」など珍しいはちみつもあり、それぞれ個性的な味と香りを持っています。
不特定多数の花から集められた蜂蜜を「百花蜜」と呼ぶのに対して、一種類の花から集めた蜂蜜は「単花蜜」と呼ばれています。
「単花蜜」は、特定の花の咲く時期を見極めて、ミツバチの巣箱を開けて一定の量を集めます。ある程度の規模と技術を持つ養蜂家でなければ作ることのできないものです。
しかし、農業や漁業などのあらゆる一次産業と同じように、日本の養蜂業もまた、高齢化や後継者不足、安価な輸入はちみつの流通などから“養蜂業”としての存続を断念するところが増えています。『竹内養蜂』もかつては同じ問題に直面していました。
『竹内養蜂』4代目の竹内慧太さんは、『はちみつCROSS』代表であり、一橋大学出身で現在は帝京大学経済学部教授でもある比佐優子(ひさ・ゆうこ)さんの教え子だったそう。
「当時大学一年生だった竹内は、これからの人生についてすごく思い悩んでいる様子でした。『養蜂を継ぐかどうか、卒業までに決断したい』という彼に、『じゃあ、はちみつが若い人にどのくらい好まれるか試してみたら?』と話して、大学内で『はちみつゼミ』を立ち上げました。ゼミでは養蜂業を知るところから、はちみつを使った化粧品、食品などの商品開発も行なって、学生たちが国産はちみつへの関心を高めるきっかけをつくっています」
『はちみつゼミ』は、やがて倍率3〜4倍もの人気ゼミに! 『竹内養蜂』も卒業した4代目が継承し、現在リブランディングを行っています。
比佐さんは『竹内養蜂』を知るにつれて、日本で一次産業を営む人々への尊敬の念を膨ませていきました。
「養蜂家は春になると朝日が昇る前から蜜を集めます。『竹内養蜂』ではミツバチを育てて他の養蜂家に販売する技術も持っていて、毎年夏越しのために北海道まで巣箱を移しています。でも、蜜をとって食べてしまえば全ての工程は見えなくなります。さらに従来の市場だと他の蜜とブレンドされて、加熱処理されて高い栄養価も失われてしまうんです。自分たちの仕事を世の中に伝えられない悲しさを、『竹内養蜂』4代目で払拭したい。そんな思いが、『はちみつCROSS』で直売をはじめたきっかけにもなっています」
比佐さんは『竹内養蜂』との出会いをはじめ、自身の研究テーマ「日本キャリアの海外進出」で日本の農業を研究するうちに、国産フルーツの素晴らしさにも気づきます。優れたフルーツを手がける農家さんを見つけると、すぐに現地へ飛んでいきました。農協の前で待ち伏せをして、納品に訪れた農家さんを突撃訪問したこともあるそうです。比佐さんを突き動かす思いの強さが伝わってきます。
「世の中には、誰にも気づかれなくても努力して、いいものを作っている名も知れない生産者がたくさんいる。知れば知るほど、作り手に恋するような気持ちが芽生えました。そこから始まる食文化があることを、もっと上手に世の中に伝えたいと思うようになったんです」
やがて比佐さんは、大学教授の仕事の合間を縫って、『はちみつCROSS』のキッチンでジャムやマーマレードを作るようになりました。
「ジャムやマーマレードの原料となるオレンジやレモンは、農家の皆さんが雨の日も風の日も大切に育てて、『皮まで美味しいよ』と言って送ってくださったもの。自然の恵みを凝縮した果実を損なわないように、短時間で一気に炊いて熱々を瓶に詰めます。食卓に届いたスプーン一杯の蜂蜜やジャムはすごく力強くて、目の前に花畑やたわわに実った果樹園の山並みが広がり、旅するような爽快感と、晴れた日の太陽のあたたかさが伝わってくるんですよ」
目標は、国産のはちみつやフルーツの情報を、国内外へと広めること。『ダルメイン世界マーマレードアワード』金賞を受賞するなど、国内外の賞にも挑戦しています。自分たちの価値基準だけでなく、世界中のさまざまな基準において高品質を証明しているのです。
ジャムやマーマレードには、もちろん『竹内養蜂』のはちみつが使われています。人の手でつくられたものが、世の中に受け入れられていくまで実験を重ねる『はちみつCROSS』は、まるで「はちみつ実験室」のようです。
『はちみつCROSS』を運営する『CROSS partnership design株式会社』では、分譲住宅のプランニング・販売も手がけています。目指しているのは“街と人との出逢いを楽しむ、景観に融合する家づくり”です。
お店の2階にある事務所で分譲住宅のプランニングを手がけるのは、建築コンサルタントの川東有治(かわひがし・ゆうじ)さん。
「家にこだわりたい人は、建売ではなく注文住宅を選びますよね。でも、建築の知識があまりないという方は、自分のライフスタイルに合う、プロが手がけた分譲住宅を見つけた方が、余計な時間とコストをかけずに理想の家を手に入れられるかもしれません。ここでは、そんな“注文住宅のような分譲住宅”を手がけています」
昭和の時代から建築会社に勤め、分譲住宅のプランニングを行っていた川東さんは、国立市内だけでも100棟以上の住宅を手がけた経験があるそう。
「今の分譲住宅ではローコストとスピードが重視されがちです。昔の分譲住宅は、地元の工務店、地元の大工が競い合って質の高い住宅を作ることで、他社との差別化をはかっていました。間取りも量産型ではなく、細かい意匠やデザイン・色合いにも独自性が見えて、その地域にしかない魅力を反映させた住宅が多かったのです」
同じ部材・間取り・建て方で流れ作業のように家を建てれば、速さ・安さは実現できても、街並みや景観は単調なものになります。
「個性が失われていく地域は、そこにしかない個性を保っている地域と比べて、土地の資産価値も徐々に下がっていきます。住宅が資産なら、住宅のあるエリアも資産の一部。だからこそ、プランニングに技術と時間をかけて、景観にも馴染む住宅づくりを心がけています」
川東さんがプランニング・設計にかける期間は、最低でも2〜3ヶ月。その仕事に就いている人なら、じっくり時間をかけて細部までプランニングが行き届いていることがわかるはず。
川東さんの建築デザインには、そこに住まう人への思いが巡らされています。
建物の全パーツを熟知し、空間感覚に優れたプランナーが手がける住宅には、壁のスイッチやコンセントの位置といった細かいところにまで配慮が行き届いていることに驚くはず。ライフスタイルが合致する人にとっては、理想と予算の折り合いや建築家との相性が大切だと言われる注文住宅以上の価値がありそうです。
それぞれにプロフェッショナルな2人のつながりは、比佐さんが川東さんに自宅の設計を依頼したことからはじまりました。
「比佐には“つながり”を生み出す不思議な力があると思います。私だけでなく、大学の教え子たちとも卒業後につながりを築いて、こうして仕事をしているのも、その不思議な力の賜物ですね」と、川東さん。
「世界中の人間は、6人の知り合いでつながっているんですよ」と、比佐さんは話します。
「家族や友人は“強いつながり”、まちのお店と人との関係は“弱いつながり”ですが、個人やお店が持つ情報、アイディア、信頼、協力などの資源が活きるには、弱いネットワークこそが重要です。強いつながりの中では情報がすでに共有されていて広がりません。新しい情報は、むしろ弱いネットワークから伝わっていきます。『はちみつCROSS』を介して、埋もれていた情報や資源が広まり、地域社会の取り組みの架け橋になっていくといいなと思っています」
2つのクリエイティブが追求されていく実験室。『はちみつCROSS』に立ち寄ったら、その最新の実験結果を尋ねてみてもいいかもしれません。
東京都国立市中1-7-63