赤い三角屋根の国立駅舎がシンボルの、「大学町(だいがくまち)」として作られた東京都国立市の街並みは、ドイツの大学都市ゲッティンゲンを参考にしたと言われています。
ゲッティンゲンは音楽が盛んな街でもあります。国立にもかつて音楽大学があり、道を歩けばどこからか楽器の音が聴こえてくる「音楽のまち」というイメージを持つ人も少なくありません。国立駅から東に延びる旭通りの奥には、かつて野外音楽堂があったそうです。
『有限会社ムサシ楽器』は、そんな旭通りにたたずむ「まちのピアノ屋さん」。そこにもまた、音楽のまち・国立の歴史が流れていました。
『ムサシ楽器』は、1965年に府中の武蔵台で開業しました。1976年に国立に移転し、ピアノの調律、修理、運搬、買い取り、ショールームでの販売、貸し出し、旭通りにある直営のホール『ヴィオレホール』の利用まで、ピアノにまつわることならどんなことでも承っています。
「調律師でもあった先代社長の荻尾佳一(おぎお・よしかず)は、趣味をそのまま仕事にしたような人で、ピアノと国立のまちが大好きでした。他では門前払いされてしまうピアノも修理して蘇らせて、ついにはトラックとクレーンを買って、どんな難しい場所でも自分でピアノを搬入・搬出してしまうようになりました。『好き』という気持ちと技術だけを持って、不可能も可能に変えてしまう、ピアノのためならなんでもしてしまう人でした」
先代亡き後、代表を継いだ奥様の荻尾香子(おぎお・こうこ)さんはそう話します。昔から培われてきた技術は、ピアノのことならなんでも承る『ムサシ楽器』を支えています。
先代社長の佳一さんは、調律師として1935年に独立創業した父親の工房で、幼い頃から職人たちに混ざって自らピアノをいじるようになりました。18歳になるとピアノ産業がさかんな浜松市で調律師としての修行を積み、東京での会社勤めを経て、28歳で調律師として独立します。
やがて1970〜80年代のピアノ・ブームが到来し、「一家に一台のピアノ」の風景が当たり前に見られるように。大学通りの美しさに惹かれ、買い物や散策によく訪れていた国立に家族で移り住んでからは、1日に多いときには7台くらいを調律し、どんな状態の中古ピアノでも蘇らせて買い手をつけるなど、調律師としての腕はさらに磨かれていきました。調律は一台2時間かかると言われていますが、先代社長は40分で仕上げる腕前だったそうです。
「先代社長は、よく『お茶を飲んで話をしないと、ピアノは売れないよ』と言っていました。まちの人とのつながりを大切にしていたんですね。今でも当時のお客様に会うと『佳一さんにお願いしていたから、何の心配もなかったわ』と言われます」
まちの中で技術が認められていたことが伝わってくるエピソードです。
現在の国立にも、「まちにピアノと音楽のある風景」が受け継がれる象徴的な場所があります。
それは、2006年に解体され、2020年にほぼ同じ場所に再建された『旧国立駅舎』です。待ち合わせ場所として自由に過ごせるラウンジには、ドイツのピアノメーカー『Schimmel / シンメル』のピアノが置かれています。ミニコンサートなどのイベントで弾かれるほか、誰でも自由に弾くことができる「プレイ・ピアノ」が実施され、駅前の喧騒をピアノの音色が優しく包みます。
『旧国立駅舎』のピアノの調律を手がけるのは、調律師の荻尾賢太(おぎお・けんた)さん。大手ピアノメーカーのヤマハで15年経験を積み、現在は『ムサシ楽器』技術部部長として、調律師たちの技術を牽引しています。
調律中の調律師は、ピアノと一体化しているかのよう。調律中のピアノから響く音で、こちらの頭の中まで調律されていくような気がします。
眺めているうちに、なんと先代社長と同じ40分で調律が完了しました。
「ピアノには約240本の弦があり、一本あたり1秒以内で音を調整していきます。一本15秒かかるのは、音に迷っているということ」と、賢太さん。
「シンメルとヤマハはよく似ています。一番似ているところは、庶民のピアノだというところかもしれません。素材にもチェリーやトチノキ、ウォルナットなど色々あって、インテリアに馴染みやすいですよね」
2014年、『ムサシ楽器』はシンメルの日本総代理店になりました。賢太さんは日本で一番シンメルを調律している調律師でもあるのです。
ピアノや音楽が好きな人にとって、「好き」を貫き通せる環境がここにはあるのかもしれません。その気持ちはお客さんにも伝わっています。
『ムサシ楽器』のショールームでは、シンメルをはじめ様々なメーカーのピアノが全て“試し弾き”でき、スタッフが丁寧に相談に乗ってくれます。自宅用からコンサートホールで使われるものまでグレードも幅広く、チェコの建築家のアントニン・レーモンド氏が設計した幻のアップライトピアノなど、珍しい掘り出し物に出合えることも。
他では難しいと言われる場所にも、ピアノを搬入・搬出できる小回りのきく運搬技術もあり、ピアノの貸し出しも月3000円から行っているので、諦めていたピアノとの暮らしが実現するかもしれません。
旭通りの『ヴィオレホール』には、国際コンクールなどにも使われているスタインウェイとヤマハのフルコンサートピアノが2台あり、連弾も可能。ピアノの先生による教室も定期的に行われ、ピアノに親しむ人を増やしています。
ここではたらく一人ひとりの「ピアノと音楽が好き」という気持ちは、ピアノと人、ピアノとまち、ピアノのある未来をつなぐ架け橋になっていきます。
およそ2万点の部品から作られるピアノ。調律師だけでなく、鍵盤屋さん、ハンマー屋さん、金属屋さん、木工屋さん、塗装屋さん、運搬する人……など、多様な人の手によって作り上げられたものが、子どもたちのもとへ届き、音楽を人々に響かせる、そんなロマンがあります。
そんなピアノに携わる裏方たちを少しだけご紹介します。
賢太さんのもとで調律修行中の酒井沙綾さんは、ショールームや工房でピアノの調律・修理を手がけています。
「調律師は3本の弦を使って1つの音を作ります。人によって不思議と音の作り方が違っていて、全く同じ音にはならないんです。ピアノにも個性があるので、そのピアノとその調律師でないと生まれない音もあります」
調律師の技術は一朝一夕で身につくものではなく、弛まぬ努力と経験の積み重ねによってはじめて裏付けされる、誤魔化しの一切きかない技術です。その技術にゴールはなく、一生向き合っていく仕事になります。
「音楽のまち・国立に、もっとピアノの音色を響かせたい。『ムサシ楽器』のことを一人でも多く知ってもらい、ショールームに足を運んでもらえたら嬉しいです」
個人で指揮者としての活動もしている松川創さんは、ショールームの接客や広報を行っています。
松川さんには、先代社長・佳一さんとピアノを介した「想い出」があるそうで……
「国立に引っ越してきた小学生の頃、荷物の中でピアノだけが遅れていて、ちょっとだけ試し弾きさせてもらおうと『ムサシ楽器』を訪れたんです。その時、先代社長の佳一さんに『いいピアノが入ったところだから、弾いてみない?』と声をかけてもらって、弾かせてもらったピアノの音色がずっと忘れられずにいました」
その時のピアノが、現在『ヴィオレホール』にあるスタインウェイピアノ。ピアノの中でも最高ランクに位置する、約2500万円のピアノです。
「佳一さんのことはすっかり忘れたまま、『ムサシ楽器』に関わらせていただくことになり、メンテナンスのためにホールのスタインウェイを弾いたとき、音色から当時の記憶が呼び起こされたんです。あの時、佳一さんがこの音に出合わせてくれなかったら、音楽の途は目指していなかったと思います。だから、音楽と『ムサシ楽器』へ恩返しがしたいんです」
「ピアノが好き」「音楽が好き」なら、色々な形で仕事に携わることができる『ムサシ楽器』。
1700年代に発明されてから、ずっと基本的な構造が変わらないピアノ。表現できない音域はほとんどなく、ピアノ一台でオーケストラに匹敵するとも評されるほど。音楽という文化を下支えしていると言っても過言ではありません。
『ムサシ楽器』では1910年製のピアノも現役で音を響かせており、調律を欠かさずにいれば人生よりも長いあいだ受け継がれていくものです。人それぞれの思い出をつなぐピアノの音色を、このまちでともに響かせていきませんか。
東京都国立市東1-17−4