ガラス屋だけど固くない

ガラス屋だけど固くない

1968(昭和43)年に創業した『株式会社高野総業』。

建物が次々に建っていた高度経済成長期、高野総業ではアルミサッシ枠の窓ガラスの製造や取り付けを中心にプロフェッショナルたちが腕を奮い、業界では「三多摩に高野総業あり」と言われるほどに。

1983年、当時は空き地と農地に囲まれていた国立・泉地域に、広い作業スペースのある3階建ての社屋を構えます。その一帯には、ものづくりの企業が次々に拠点を構えるようになりました。

それから約半世紀が経ち、新築よりリノベーションが主流の昨今。高野総業でもまた、次世代への事業承継が進んでいました。

もくじ

外からやってきた新社長

高野総業の3代目社長は、創業者の高野家とは縁もゆかりもない、大阪出身の村上純(むらかみ・じゅん)さん。

大学入学と同時に上京し、電気設備関係の商社で工務店と取引をする営業として6年、不動産管理会社で10年、それぞれ経験を積んできました。

「建築や設備のあらゆる業種の人と仕事をして、高野総業のようなガラスやサッシの仕事が絶対になくならないことや、マニアックな一生ものの面白さがあることはわかっていました。そんな時に、知人の紹介で初めて高野総業を訪れて、今じゃ絶対に作れない広い工房に豊富な道具、高野前社長をはじめとする人たちの和気あいあいとした雰囲気を見て、ビビッときて。ここがなくなるのはもったいない、ここを継承して残そうとその場で決めました」

仕事はマニアック、現場はゆるい雰囲気。

それに加えて、不動産管理会社としてあらゆる建物や施工業を知り尽くした村上さんの目から見た、高野総業にしかない強みと、将来の安定性。

それが、3代目社長が事業承継を決めた、3つの理由です。

「ガラス屋としての専門性が高い上に、エクステリアや内装、多能工の経験を持つ人もいて、アレもコレもできるというのが強みの一つです。ガラスは工房でカットすればテーブルやショーケースなどなんでも作れるので、長年の取引会社さんのほか、個人のお店、古民家をリノベーションしながら住みたいというお客さんも増えています。今では作れない柄付きの窓ガラスなど、工房で選ぶこともできますよ」

新築の需要に合わせて大きくなった高野総業は、次世代への継承とともにリノベーションの需要に合わせて、再び枝葉を広げつつあります。

「今は高野総業の第2の黎明期。長い建築の歴史の中で、ガラスは唯一なくなっていない建材です。ガラスは今から身につけてもいい一生の仕事。事業継承してから一年で、建築の他業種の経験者や、元お花屋さんという全くの業界未経験者まで、いろんな方が入社してきてくれるのがまた面白くて、新しい可能性が広がっています」

「これまでの歴史の中で培われた太い幹から、新しいアイデアや事業の枝葉が伸びてもいいし、全く新しい幹になってもいい」という村上さん。業界の中では老舗の高野総業は、今の時代に合わせて、新しい仕事やプロダクト、新しい働き方へと、自由に大きく舵を切っています。

古い会社で、新しいことやりませんか?

高野総業の仕事は、個人プレーよりもチームワーク。お金をガツガツ稼ぐよりも、今ご縁のある仕事や人生を楽しむのがモットー。

高野総業のよさや強みだと感じることも人それぞれで、

「同じ窓ガラスは一つもなくて、やるにつれて楽しみができるのがこの仕事のいいところかな。大変なところは、窓の外の仕事だから、夏の暑さや、冬の寒さ」と、その道35年の萩原さん。

「元内装工でガラス工は未経験だったけど、手伝いながら仕事を覚える中で、大変だと感じることはないかな。楽しいことは、20年、30年やっても知らないことがまだまだありそうなところ。覚えていけたら、スキルがあって困ることはなさそう」と、入社一年目の石川さん。

入社15年目の田中さんは、「小さな会社の大きな歯車になれるところ」と話します。

「建築業界は歴史があるし、50年以上続く会社は古い体質で閉鎖的、そう感じている人は多いと思います。新しい高野総業では、自分の好きなことやアイデアで、まずやってみることができる。言われたことをやるだけじゃなくて社員の新しい考えも取り入れてくれる。新しい工事の技術、営業、広報、デザイン……これまでのいろんなスキルや想いが実現できると思います」

村上さんが社長に就任したのは2020年。それより10年、30年も前から勤めている人もいるのにも関わらず、新しい人、新しい考え方に対して保守的にならず、みんなが歓迎モードです。

「前社長も高齢だし、もともと閉める予定の会社だったんです。村上さんが来てから、今の時代に合わせて会社が新しく変わっていくところを見させてもらった。これからも変わっていくのが楽しみです。『オレももう古い人間だな〜』そう思える新しい人に、どんどん来てほしい」

「古臭い名前の会社で、新しいことやりませんか?」と、田中さんと村上さんは笑います。

事業承継するということ

前社長の高野隆夫(たかの・たかお)さんは、昭和15年生まれ。国分寺、府中へと高野総業の社屋を移しながら順調に会社を成長させ、現在の国立市泉に会社のビルを建てました。

「会社は、社員だね。大事なのはチームであること。事業である以上、時代に乗っていかなきゃいけないんだけど、自分だけでは右がいいのか左がいいのか迷うよね。絶対の自信なんてない。社員とコンビを組んで上手にやっていくのが一番大事なことじゃない。やっぱり、若い人にはかなわないよ。村上くんに譲ってよかったと思うのは、まだ一年だから、これからだね。本当にやっていけるのかということ。でも、この人ならやるでしょ! ちょっといい加減なところもあるけど、大雑把なくらいがいいんだ。固くないところがいい」

「高野総業はプロだからね。職人でもなく、アマチュアでもない。プロフェッショナルを目指していかないとね」

事業承継とは、社長対社長ではなく、その時代に居合わせた全ての人で、ゆるやかに成し遂げていくものなのかもしれません。現在、住宅地に囲まれた高野総業のまわりには、時がゆっくり流れる小さな「ものづくりのまち」が広がっています。

会社情報

会社名
株式会社高野総業
HP
https://www.takano-sogyo.com/
問い合わせ
https://www.takano-sogyo.com/contact.html

東京都国立市泉1-22-6

加藤 優 加藤 優

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