『SAP(さぷ)』を初めて訪れたのは、急に真冬がやってきたような朝のこと。出先で仕事中に足のつま先が冷えきり、このままでは体調が悪くなりそうだったので、「国立駅前で靴下を売っているお店があったな」という記憶を頼りに、路地裏にたたずむ小屋のようなお店を目指しました。
お店のテーブルには、綺麗な色の冬の靴下が並んでいました。事情を話すと、店主の川瀬佳恵さんが、靴下の中に履くことができる薄いシルクの五本指ソックスを出してくれました。
それは透き通るほど薄い生地なのに、履いているとつま先はずっと暖かいままで、「靴下にもこんなに違いがあるのか」と驚きました。その感動以来、靴下やちょっとした日用品が欲しくなった時は、自然と『SAP』に足が向くようになったのです。
「樹液」という意味を持つ『SAP』。その店内には、季節に合わせた自然素材の雑貨と日用品が並び、のんびりとした時間が流れています。
どれも手頃ですぐに使えるものばかりなので、普段から自然素材のものにこだわっている人も、特にこだわりのない人も、どちらも入りやすいお店です。使ってみると驚くほど肌の乾燥を防いでくれる石鹸や、着てみると着心地が良くて手放せなくなるタンクトップなど、ここで初めて知った「心地良さ」を求めて通われているお客さんは多いそう。
気になること、探しているものがあれば、店主の川瀬さんに話しかければなんでも相談に乗ってくれます。製造の裏話などを教えてもらいながら選ぶのも、楽しいひとときです。
ところで、「自然のもの」とはどういうものを指すのでしょう。綿、シルク、ウール、麻や竹、木や葉や土など、自然界にある植物や鉱物のことを指すことが多いです。『SAP』では、こうした肌や髪に優しいもの、原料や製造工程において環境に配慮されているものを扱っています。
「自然のもの」の対義語を調べてみると、「化学物質や、製造過程で化学的な処理を施したもの」とあり、それらは主にここ100年ほどで普及した石油製品のことを指します。
「自然のもの」の中には、石油産業が発展するずっと以前から人々の暮らしに根ざしてきたものが多いのですが、安価な石油製品に押されて作り手が減りつつあるのが現状です。一方で、化学繊維や化学肥料がアレルギーやアトピーなどの要因にもなることもわかってきたので、肌や健康のために「自然のもの」を選ぶ人も増えています。
「化学繊維の服は手頃で着やすいけれど、肌が弱い人には肌荒れの原因になりやすいですし、処分する時を考えたらダイオキシンが出ることもあるので、環境には優しくないですよね。例えば『綿70%、ポリエステル30%』のように化学繊維も少しだけ取り入れると、フィット感も出るけれど、静電気もよんだりしてしまうので、やっぱり少ない方がいいと思いますよ」
何を選ぶかは自分次第。『SAP』に行けば、バランスよく選ぶための手助けをしてくれます。
毎日着ている洋服ですが、自分にどんなデザインや色味が似合うか考えることはあっても、素材について考えることは少ないかもしれません。石油製品は今や私たちの暮らしには欠かせないものですが、その意味を知ることは、改めてこれからの人生で大切にしたいことを考える選択肢を広げてくれます。
「自然のものを選ぶと、『着ていて気持ちがいい』『体の調子がいい』など、自分の五感で良さを感じとることができます。不調や違和感のない状態になると、ありのままのものごとに対して、素直に感動できるようになったという人も多いです。そこから第六感のような感覚が研ぎ澄まされていくこともあるようですよ」
もやもや悩んでしまうときは、一旦深呼吸をしてみるように、日用品を自然のものに換えてみるのもいいかもしれないですね。
川瀬さんはもともと、衣・食・住のうちの「食」に興味があったそう。
今ほど無農薬野菜や米を扱うお店がなかった1980年代、22歳だった川瀬さんは「好きな“食”が自分自身の表現になるかもしれない」というひらめきから、玄米と味噌汁、ひじきなどの副菜、焼き魚やコロッケなどの主菜を合わせた「玄米定食」のお店をオープンしました。
5年ほどお店を続けて、子どもの誕生をきっかけに「暮らしに必要なのは『食』だけではない」と思い、今度は「衣」と「住」に目を向けようと考えて、草木染めの毛糸屋さん『SAP』をはじめました。
今では草木染めの靴下を少しと、夏には体に優しい蚊取り線香や虫除けスプレーなど、四季折々の生活雑貨を扱うお店になりました。
「ちっちゃなお店だけど、玄米定食のお店と『SAP』を合わせると国立で40年になるの」と川瀬さん。
当時は若く、国立のまちも賑わっていたので、お店を閉めた後は夜遅くまで開いている他の個人店に繰り出していました。その思い出話を聞いていると、昔は音楽大学があり、路地裏からピアノや歌声が聞こえてきて、店主こだわりの音楽が流れる名曲喫茶で、夜な夜なコーヒーのカップやお酒のグラスを傾ける、そんな光景が浮かんできました。
「私は音楽がすごく好きだったわけじゃないけれど、国立はまちぐるみで『音楽のまち』を形作っていて、そういうところがすごく好きでした」
そんなふうに、1980〜90年代の国立を懐かしく思う人は多いのです。
「国立には、行政や人任せではなく、自分たちでどんなまちにしていきたいのか考えようとする人が多いと思います。昔も今もそういう人は多いですね。これからの国立の良さをどうやって引き出せるのか、住んでいる人たちみんなで考えていけるといいですよね」
川瀬さんの娘さん夫婦も“国立暮らし”を選んだことで、親子三世代が国立で暮らすようになりました。
「私の母が一時的に車椅子生活になってしまった時、初めてまちの段差に目を向けるようになりました。主要ターミナル駅の周辺は若いうちは便利だけど、上り下りが多くて歳をとると不便です。国立は平らなまちなので、車椅子やベビーカーでも散歩が楽しめるし、障害者スポーツセンターなどの福祉施設も多いですよね。母の車椅子を押しながら、国立は福祉や文化に特化したまちなんだ、と気が付きました」
長い人生の中で、健やかな時もそうでないときも、のびやかに暮らせるまち。
「受け身じゃなくて、身近で小さなことから、まちのために自分ができることを考えられるといいですよね」
自分のことだけでなく、少しだけ範囲を広げて考えてみると、巡り巡って自分のためになるのが「まち」という規模感。未来を選択しているのは、まちに暮らす一人ひとりなのかもしれません。
東京都国立市中1-7-75