国立駅前の酒屋『せきや』には、世界中の蔵元、ワイナリー、ブルワリーから商品が集まります。その数、およそ1700銘柄以上で、東京・多摩エリア有数の品揃え。
その豊富な品揃えと、100年以上培われてきた酒屋としての知見を生かし、多摩エリアの飲食店への卸しや提案も行っていることは、あまり知られていません。
お酒をただ右から左へ流すように届けるのではなく、その先にひろがるシーン、料理とのペアリング、商いのことまで考えを巡らせて、短い商品説明と値段だけでは伝わらない『せきや』独自の提案で、まちを彩るお店・会社を支えていきます。
「9割くらいは世間話です。リラックスした雰囲気で、ふとした困りごとや、もっとこうしたいといった希望が出てきます。メニュー、客単価、店主の人柄はもちろん、たまにはお客さんになって普段の雰囲気を感じて、店員さんとも世間話をしながら、そのお店の“処方箋”を仕上げていくような感覚です。そこではじめて、ここにどんなお酒があると、お店に来た人がワクワクしてくれるのかが見えてきます。自分や店主がワクワクしたお酒のメニューは、やっぱりよく売れるんです」
『せきや酒類販売株式会社』代表の矢澤幸治さんは、「提案」が綿密なヒアリングと理解の上に成り立つことをよく知っています。それは、まちの酒屋だった『せきや』の卸し部門で、営業のスタイルをイチから築いてきた経験に基づいています。
2000年代、矢澤さんはアルバイトとして『せきや』で働きはじめました。20歳前後でお酒のことは全く知らないまま、配達や納品を担当することに。当時、まわりの先輩たちの生き方は自由そのものでしたが、その働き方に共通していたものは、「プロであること」だったといいます。
「『人はどうしても若さや外見で判断されることはある。だからこそ商品知識を身につけて、接客や納品のスタイルは徹底してプロでありましょう』。それが先代社長の教えで、自分の仕事を身につけていく上での指針にもなりました」
当時の『せきや』は輸入洋酒に力を入れ、中でもワインを充実させはじめていました。矢澤さんは、ワインアドバイザーの勉強をする先輩と一緒に試飲するうち、最初は「酸っぱい」「渋い」としか感じられなかったワインの味が、徐々にわかるようになっていきました。すると、「ワインには、こんな味もあるのか!」と感動する瞬間が訪れたのです。以来、ワインは趣味の一つになり、よりお酒の世界に精通していきました。
『せきや』には、当時の矢澤さんと同じように、入社するまでお酒に詳しくなかったという人は多いそう。お酒は奥が深く、様々な国、文化といった幅広い分野ともつながっているので、商材として触れるうちに自分の興味関心のベクトルと合致することが多いのです。
その後、現在のせきやビルができたことで、売り場面積は10倍に。矢澤さんは店長に就任し、現在の売り場の下地となるものが少しずつ築かれていきました。
その後、店舗から営業部へ異動。20代の若手のうちに、客先の経営者と対等に話をする機会を得たことで、視野がどんどん広がっていったそうです。
「お店をオープンする人にとって、店は理想とこだわりがつまった場所。しかし『せきや』の営業になったばかりの頃は、料理や空間にはすごくこだわっているのに、お酒はとりあえず安いもの、一つのメーカーのものだけを入れているところが多くて、もったいないと思っていました。お酒は、料理や空間の魅力を引き出して、売上を作る力があるものです。メニュー表の最後のお酒欄を、お店の魅力を引き立てるものに変えるだけで、店の売上も大きく変わります」
お客さんが喜んでくれるメニューリストを、店の経営者と同じ目線で考える。そういった伴走型の営業スタイルや、お客さんがより良くなれば自分のこと以上に嬉しくなる、そんな人が『せきや』の営業に向いているかもしれません。
『せきや』のお客さんには長い付き合いの飲食店が多く、派手なことはせず品質と提案力を磨き、コツコツ関係性を積み重ねていくのがモットー。既存のお客さん、紹介やお問い合わせへの対応を丁寧に行い、全く関係性のない新規の開拓よりも、関係性を深めていくことに時間を割いています。
お客さんの中には複数の酒屋とつながりを持つ飲食店もあれば、『せきや』一本のところも。その中でも、メニュー表の一部に『せきや枠』を設けているお客さんとは、固い信頼関係が築けています。
メニューリストを任されている大切なお客さんとは定期的に打ち合わせを行い、『せきや』がおすすめしたいお酒を提案します。矢澤さんが言うところの“処方箋”がしっかりと描けているので、客単価やお料理、お店のコンセプトや雰囲気に合うお酒を、季節や時流に合わせて提案できるのです。
この日は営業の山崎貴司さんが、東京・立川のワインハウス『WEST END』のマネージャー・関澤さんとメニューリストの打ち合わせを行っていました。
「好きな飲食店と関われるこの仕事は、ずっと続けたいですね。自分たちはお酒のプロですが、飲食店のオーナーやシェフのように空間や料理を作り上げることはできません。でも、そのお店の当事者として一緒にお酒のメニューを考えて、その結果まで見届けることができるのが、この仕事の一番楽しい部分で、一番大切な部分でもあります」
そう話す山崎さんは、ピッツァ職人を目指して修行を積んでいたこともあり、飲食店を陰ながら支えられるお酒業界を転職先に選んだそうです。
「『せきや』さんは大手と違って小回りが利くし、お店にもたまに顔を出してくれて、『うちの店ならこういうお酒が合うんじゃないか』と一緒に考えてくれるのがシンプルに嬉しいですね。何よりも同じ地域でもり立てあっていける、そんな関係性は長く大切にしていきたい」と、『WEST END』の関澤さん。
メニューリスト提案の後は、配達がてらお客さんを訪問します。配達専任のスタッフもいますが、お客さんの様子を伺うために営業が自ら行うことも。
『せきや』と多摩エリアの飲食店は、大変な時はお互いさま。お客さんが困ったときには、どんなに難しくても断る前にまず方法を考えること、代替案を提案することも欠かしません。
相手のことも自分ごと。飲食店と酒屋は、お互いをもり立て合っているのですね。
『せきや』の得意分野は、ワイン、地酒、クラフトビール。特にワインは多摩エリア有数の品揃えがあり、最近では自社のブルワリーを立ち上げたことからクラフトビールの品揃えにも力を入れています。
国立駅前に実店舗を持ち、お客さんの趣向の変化がつかめること、メーカーや作り手との長年の関係性から珍しいお酒も入ってきやすいことも、お酒の総合商社としての強みです。
「まず自分がワクワクして、相手もワクワクする提案ができれば、その仕事は成功です」と矢澤さんは話します。
「この仕事を続けていると、目の前のお店・会社だけでなく、その向こうにいるお客さん、原材料の仕入れ先、その生産地……と、思いを巡らせる対象がどんどん広がっていきます。すると、お店を立ち上げられるくらいの知識も身についてきたりします」
営業という一つの働き方には、いろんなものごとを吸収するチャンスがあり、自ら真剣に取り組めばどこでも通用する人が目指せます。世界をひろげていきたい人は、ここからはじめてみませんか。
東京都国立市中1-9-30