熱量を持った全ての人へ

熱量を持った全ての人へ

「国立人」で紹介している国立エリアの会社・お店には、歴史のある分野の作り手や、100年以上続く老舗もあります。

しかし、「ウェブデザインの経験が50年ある」人は、この世に存在しません。インターネットの歴史を振り返ると、ウェブサイトそのものの発祥が1990年代を起点としているためです。

当サイト「国立人」をはじめ、数々のウェブデザインを手がけている『BALABILAB(バラビラボ)』の榊原彰さんは、そんなインターネットの走りの時代を知る一人でもあります。

もくじ

「ホームページを作る」理由

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「ネット上にホームページが増え始めた90年代から今まで、ウェブサイトで表現できることは広がりました。同時に、ウェブの制作を依頼するクライアントの目線からは、専門的でわかりづらいことも増えました。自分は作り手として使い手と同じ目線に立っていたいので、『ウェブデザイナー』という肩書きは自分にはちょっと遠くて。もっと身近に感じられる『ホームページ作ってる人』と名乗り続けたい」

榊原さんが「ホームページ制作」を始めたのは、DJ活動を始めた90年代後半のこと。主催するライブやイベントを「いかにお金をかけずに宣伝するか」と考えたとき、インターネットを活用しようと思い立ったことがきっかけでした。

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「昔からインターネットは無料で世界中の人と繋がれる夢のようなツールでした。特にGoogle検索が登場した1998年以前は、面白い人が作ったページからリンク集を辿り、面白い人のページに繋がっていくという、リアルな路地裏感がありました」

現在、一年間でネット上に上がる情報量は1,800エクサバイト以上と言われており、これは世界中の砂つぶの数と同じ。そんな中の良質なキュレーションサイト(一つの観点から情報を収集し、編集したサイト)のような特徴を、昔のウェブサイトはすでに持っていたのです。

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今や会社がウェブサイトを持つのは当たり前の時代。個人でもほとんどの人がSNSを活用しています。インターネットはビジネスのプラットフォームとなり、広告的な仕掛け方も増えました。そのことは、資本力の壁がなかった昔のインターネットを知っている榊原さんにとって、少しばかり歯がゆくもあるそう。

「ウェブの技術が発展し、時間と予算をかければできることが増えた一方で、専門的な部分がクライアント目線ではわかりづらいこともあり、『ウェブデザイン=なんだか胡散臭い』と感じる経験をした方もいるようです。作り手と使い手の信頼関係が構築されていないケースを目の当たりにすると、作り手の一人としては歯がゆさを感じます」

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ウェブサイトのデザインやユーザビリティ(使いやすさ)には、全て理由があります。とにかくたくさんの機能を盛り込めばいいのではなく、基本情報や更新性といった様々な観点から、使い手が必要とするものを見極める。そのためにも、榊原さんはクライアントとの対話を大切にしています。

「昔からずっと変わらないことは、ウェブサイトで何かを発信したいと思う人は、すでに誰かに発信できる固有のコンテンツを持っている専門家だ、ということ。ウェブサイトという『箱』の作り手が、その中身を理解することは必須です。だからこそ、対話を大切にします」

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ウェブサイトが生まれた時、それは全ての人に平等に開かれた、知らない世界への入り口でした。

昔から変わらない『ウェブ愛』があるからこそ、榊原さんは仕事を通して、ウェブサイトの変わらない価値を伝え続けています。

お金がなくても、メディアは作れる!

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「お金がない中で、いかに良いメディアを作れるか?」

それは、榊原さんの原点にもなっています。

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男子校に通いながら、受験勉強ではなくアルバイトをしていた高校時代。「自分の世界が広がるかもしれない」とコンビニやドーム球場などで働くも、悶々とした日々を過ごしていました。

榊原さんはずっと海外留学に憧れていました。中でも、イギリスで発祥した音楽とファッションがベースのMods(モッズ)スタイルの文化に刺激を受け、大学進学ではなくイギリスへの留学を希望します。

「80〜90年代の日本は、マスメディアが発信する情報が全てでした。冬に白いズボンを履くのはダメ、女性がショートカットにするのはダメとか、今よりずっと多様性がなくて、学生時代から違和感を持っていました。そんな中で、ロンドンのストリートの一角で生まれた一つの価値観が、マスコミを介さず人伝に広がっていったモッズ文化に面白さを感じました。文化はマスコミが作るのではなく、一つの熱源が生まれて、感性が近い人たちが集まって燃え広がっていくような、それこそがカルチャーなんじゃないか!? と」

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イギリスのマンチェスターに留学した榊原さんは、週5日パブやクラブへ通い、週6日レコード屋に通いつめました。そこには学校やバイト先では得られなかった地域や世代を超えた出会いがあり、シャイだった榊原さんは「自分から意思表示をしないと生きていけない」ことを学びます。その経験は、現在のウェブ制作においてクライアントと対話を重ねていくための底力になりました。

2年間のイギリス生活では、結果として「日本の良さ」を学んだ榊原さん。一度も好きだと思えなかった生まれ故郷を、外からの目線で見つめ直したことで、それまでは当たり前に思っていた日本の文化が、新鮮で尊いものに感じられたのです。

帰国してからは、イギリスのレコード屋で手に入れた1000枚以上のレコードでDJ活動をスタート。新宿のレコード屋でアルバイトをしながら、イベントのフライヤーやウェブサイトを独学で制作するようになり、やがて「デザインをきちんと学びたい」と思い立ちます。

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美大卒でもなければ、デザインの仕事は未経験。就職活動は難航しますが、時代は運よくデジカメが出始めた頃。カメラ屋で、フォトショップ、イラストレーターなどの画像ソフトで写真を加工する仕事を見つけ、まずはソフトの経験を積もうとアルバイトを始めます。並行してDJ活動も続け、ウェブサイト制作や、イベント参加者に配布するためのフリーペーパーも編集・デザインして年5〜6回ほどのペースで発行し続けました。寝る間も惜しんで制作にかけた情熱には、凄まじいものがありました。

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お金がない中で、いかに良いメディアを作るか。

2年間のその経験値は、次の転職活動に生きてきました。印刷会社のデザイン部の新規立ち上げメンバーとして正社員採用されたのです。デザインだけでなく、クライアントとの打ち合わせ、印刷、色校正など、あらゆることを自分で行わなければならない環境で、イギリスで鍛えられた発言力も活かされました。

副業的に経営していた渋谷のレコード屋で、ウェブサイト制作やネット通販などを手がけた経験も生きてきました。27歳でデザイン室のリーダーを任された頃には、クライアントとのやりとりから、紙モノのデザイン、印刷、ウェブデザインまで、なんでも一人でできるようになっていました。自然な流れでフリーランスとして仕事を得られるようになり、今に至ります。

カルチャーは熱に浮かされたように

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「文化は作るものではないよな、という違和感はずっとありました。カルチャーって枠組みやコンセプトを作るところから始まるものじゃない。面白いこと、かっこいいことをやってる人がいて、それを見て心が動かされるところから始まるんじゃないかな。そこに自然と人が集まって、広がったり、深くなったり、いろんな解釈が生まれたり。それが結果としてカルチャーになっていく。だから中身がない状態で、『箱』だけ先に作ることには抵抗があるんです」

ウェブサイトも同じ。すでにあるコンテンツをパッケージするものです。では、良いコンテンツとはどうやって生まれていくのでしょう?

「デザインやウェブサイトなどの『箱』は、お金をかければ豪華なものが作れます。でも、その中身は『そのコンテンツへの熱量』を持っている人にしか生み出せないものです。面白い人って、自分のコンテンツに対する熱量がある人のことだと思います。『箱』を手がける人間は、そういう熱量を持つ人のことをすごくサポートしたくなるんです」

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国立という「まち」も同様に、枠組みから始まるものではなく、人がつくるものです。

「最初に『まち』という箱があるのではなく、面白い人がいて、そこに人が集まってくると、結果として面白い場所になります。熱量を持つ人が報われる仕組みのある『まち』に、これからどんどんなっていくといいなと思います」

一つのカルチャーの創世記には、数多くのチャレンジがあり、そこには成功だけでなく数多くの失敗もあります。けれども、成功だけがカルチャーをつくるのではなく、失敗を繰り返すことも一つのカルチャーになり得ると、榊原さんは考えています。

「かっこいいか、かっこ悪いかは、結局は情熱なんですよ。綺麗なものばかりが文化やまちをつくるのではなく、不器用な熱量があってもいいと思っています」

会社情報

会社名
BALABILAB
実績
https://www.facebook.com/balabilab/
問い合わせ
info@balabilab.jp
加藤 優 加藤 優

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