国立で暮らし始めて、あっと言う間に1年が経ちました。静岡から引っ越して間もないうちにコロナが流行り始めるという予想もしていなかった展開で、当初思い描いていたライフスタイルとはかなり違ったものになってしまいました。
そのおかげというわけではありませんが、都心にはあまり出かけず、短い間にすっかり国立周辺のことに詳しくなったように思います。とはいえ、新しい街に住み始めて、新しい人脈を築くというのはなかなか勇気がいるもの。自分からどこかのコミュニティーに参加していかない限り、誰も私のことを知らない……という寂しさを感じていました。
せっかく国立に来たのだから、地元のコミュニティーに参加してみよう。そう思って最初に選んだのが、ヨガ教室でした。インスタグラムで見つけて問い合せをしたのは、国立市在住のウクライナ人、Alla先生の自宅でレッスンが受けられるヨガ教室。知り合いがいないことはもちろん、もしかしたら言葉も通じないかも……という不安があったにもかかわらず、よく問い合わせをしたなぁと我ながら驚いてしまいます。持ち前の好奇心から、不安よりこれまで経験したことのない“新しい環境”に心が惹かれ、気が付けば窓口となっていた先生のご主人(日本人)宛にメッセージを送っていました。
Alla先生のレッスンはカタコトの日本語がベースですが、日常会話は英語がメイン。ところが情けないことに、私の英語は中学生レベル……いや、既にそれ以下。しかもスポーツクラブのヨガとは違い、呼吸法や瞑想をしっかり行う本格的なレッスン内容だったため、しばらくは環境に慣れるのが大変でした。
最初は先生との会話もままならず、もちろんレッスンの内容にもついていけず、「一体、何をやっているんだろう……」と思い悩むことも。できないポーズを家で練習したり、通勤電車の中で15分ほどの英会話番組をPodcastで聞いてみるなど小さな努力を重ねるうちに、もうすぐ1年。気が付けば少しずつ先生とコミュニケーションが取れるようになり、レッスンにもなんとかついていけるようになっていました。
半年を過ぎた頃には、レッスン以外の場にも誘っていただけるようになったのは、とてもうれしい出来事でした。教室にはウクライナやロシア出身の生徒さんもいるので(しかも彼女たちは、日本語がとても堪能)、国立にいながら国際色豊かな環境で、文化や食の違いなどについて話を聞くことができるのも楽しみのひとつです。年末にはレッスンの後に、先生お手製のボルシチをふるまっていただきました(私はパンを焼いて持参)。
秋には、山登りが趣味のAlla先生が主催するハイキングにも参加。山寺で、人生初の本格的な坐禅にも挑戦してきました。また現在は、レッスン仲間の綾子さんが教えてくれる『アーユルヴェーダの生活術』という講座にも参加し、オイルマッサージやハーブのことも少しずつ学んでいます。
どこにもつながりがなかった国立で、勇気を出してヨガ教室に通い始めたことから、当初は思い描くことすらなかった新しい世界が目の前に広がりました。今となっては、レッスンに通い始めたころの苦悶の日々が、懐かしく感じられるほどです。
先日は、昨秋から参加しているコミュニティーの1つ『国立本店』のメンバーで、大学や料理学校で食文化に関する教鞭をとられている小山先生のご自宅で、コーヒー豆の焙煎を体験してきました。『国立本店』での雑談の中で、白い生豆が美しい褐色に変わっていくコーヒー豆の標本を見せていただき、焙煎の工程に興味を持ったことがきっかけです。
生の白い豆を150度近い温度で15分以上、焙煎しつづけると、パチパチと豆が弾ける音と香ばしいアロマが漂ってきます。そこからは、こまめに豆の状態をチェック。自分好みの煎り具合を見計らってフタを開けると、黒く艶やかな輝きを放つ”自分焙煎“の深煎りコーヒー豆が……。その美しさと芳しい香りは感動モノでした。
この日に焙煎したコーヒー豆は、ペルーのカハマルカ県イグナシオにある標高1700mに位置する『エスペランサ&ロメディージョ農園』で、2019年7月~9月に収穫されたもの。バナナ、マンゴー、スギで作られた『アフリカンヘッド』と呼ばれるシェードツリーで豆を覆い、日陰で天日乾燥した後、水に漬けて脱穀。その後は船積みされ、同年12月にペルーを出航。低温倉庫にて保管されたのちに、小山先生のもとに届けられました。
ペルーの高地からはるばる日本にやってきて、国立の小山先生の自宅の庭で私に焙煎されたコーヒー豆たち。どんな人たちが、この豆を育ててくれたんだろう。今まで生産者さんのことを考えながら飲んだことなどなかったコーヒーが何とも愛おしく、「こんな風に世界の誰かと繋がっているんだなぁ……」と遠い国に思いを馳せながら、ドリップした一杯をゆっくりと味わいました。
ウクライナやロシア、そしてペルー。これまでの私の人生にはほとんど登場することのなかった国の名前ですが、今は親しみを持てるほどに身近な存在です。勇気を出して飛び込んだコミュニティーが、世界へつながる小さな扉を開けてくれたように感じています。
(書き手:小倉一恵/国立暮らし1年目)
外から見たときと、内側から見たときのイメージは少し違います。そんな『国立暮らし1年目』だからこそ見えてくるものを綴るコラムです。