ニッポーな日々 #2 ー災害支援隊が行く!ー

ニッポーな日々 #2 ー災害支援隊が行く!ー

国立・谷保の設備会社『ニッポー設備』の、“日々豊か=ニッポー”な日常とは?

今回は、2011年の震災をきっかけにずっと続けている、災害派遣でのエピソードをお届けします。

真冬の能登半島で力をくれた「ありがとう」

2024年は日常を大きく揺るがす、元旦の大きな地震から幕を開けました。胸が痛くなる映像やニュースに、何もできないもどかしさを感じました。

私たちは、2011年の東日本大震災でのボランティア技術派遣を皮切りに、2016年の熊本地震、2019年の房総半島台風の被災地に赴き、限られた環境の中で水道設備の復旧や修理を試みてきました。

そのノウハウの蓄積を、今こそもう一度役立てる時だ。

公的機関を介して現地で必要としている支援のヒアリング、先遣隊として情熱を燃やした田中が火の玉のごとく単独で1月12日・13日に現地入りしてニーズ把握活動を行い、1月19日に『ニッポー設備災害支援隊』を再び結成。能登半島へ出発しました!

向かう先は、大勢の人が避難している小学校。水が止まったままなので、トイレのたびに学校のプールからバケツで水を汲んできて、トイレの水を流していると伺いました。

お年寄りには大変な重労働です。災害時にはトイレを我慢しがちになり、体調に影響が出る人も増えるとお医者さんから聞きました。

現地に到着したら避難所の人々に話を聞いて、状況を把握していきます。下水道は止まっていないらしい、近くにプールや川などの水が溜まっている場所がある、東京から持ってきた機材は何か……いろんな要素を組み合わせて、過去の災害派遣の経験に助けられながら方法を考えます。

半日ほどの作業を経て、3週間ぶりに水洗トイレが流れるようになった時は、ほっとしたような歓声が起きました。

固い握手を求められ、東京から車で何時間もかけて駆けつけてよかったと、熱いものがこみ上げてきました。

行政が上下水道の復旧を急ピッチで進めても、その先にある個別の一般家庭や避難所の設備復旧には、すぐには手が回らないことが多いのです。

災害時のトイレ支援は、仮設トイレの設置や簡易トイレの支給といった物理的な支援が多く、こうした技術支援を行う団体はまだまだ少ないのが現状です。

それでも、311の時から災害派遣を続けていたら、志を同じくする技術仲間が全国に増えて、有事の時には手を取り合って復旧活動に臨んでいます。

災害直後の危機を過ぎたら、日々の生活が始まります。雨風をしのげる場所や食料などの中でも「最重要」とも言えるのが「トイレ」です。

食事や睡眠は少しは我慢できても、生理現象であるトイレを我慢することはできません。

ちなみに『日本トイレ協会』では、災害用簡易トイレの一週間分の備蓄をおすすめしています。

成人がトイレに行く回数は一日平均5回。4人家族の場合は140回分の備蓄が必要です。

大地震だけでなく、停電や台風、洪水などでも水は止まり、トイレが流せなくなってしまう可能性があります。

と、少し説教くさくなってしまいましたが……実は今回の災害派遣で一番力をくれたのは、地元・国立の人々の声でした。

仕事をしながらのボランティアは体力的にもきつく、2月に行った二度目の災害派遣は体がボロボロの状態でした。

そんな中、国立の人たちの「ありがとう」の声に救われました。遠い被災地に支援に行くことを、地元・国立の人が感謝してくれる。年始のニュースを見ながら、何もできないもどかしさを感じていたのは私たちだけではなかったんです。真冬の能登半島で、感謝や応援の声は何よりもあたたかいカイロのようでした。

日々の備えの大切さは、今は実感できても、月日が経つと薄れていきます。こうした災害派遣の出来事や災害用トイレの話をする講演の機会は、ありがたくも何度かいただいていますが、ただ話を聞くだけではなく、「どんな避難所があるといいだろう」「日頃から何を心がけるといいだろう」とみんなで考えて、話し合う場も持てるといいなと感じています。

Special thanks!
国立市上下水道工事店、福島さん(栄光設備商会)、吉川さん(吉川工業所)、佐藤さん(中央住設)、佐藤さん(中央住設)
東日本大震災の時からの仲間に、地元国立市上下水道工事店会のメンバーを加えた、ニッポー設備災害支援隊は、みなさまの協力を得て、大きな力をもらいました。

(ニッポー設備代表&一般社団法人日本トイレ協会運営委員 田中友統 / 国立人編集部 編)

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東京都国立市谷保619

「ニッポーな日々」とは

地域密着設備会社の“日々豊か=ニッポー”な日々。

 国立人編集部 国立人編集部

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