国立市富士見台。駅前の喧騒から少し外れたその閑静な住宅街には、昔ながらの商店が残り、若い店主が営む個性的なお店も増えています。
「昭和の頃の富士見台の商店街は、夕飯時は満員電車のような人口密度だったんですよ」
そこで暮らす人々からそんな話を聞くたび、現在の商店街の姿からは思いもよらず、ただただ驚かされます。
そんな日本のどこにでもありそうな、少し懐かしい光景が広がるその場所に、「富士見台ストアー」はひっそりとたたずんでいました。
そのたたずまいは一見、前時代に取り残されてしまった光景のようにも思えます。けれども、現在その一角のテナントに入っている建築事務所「JUNPEI NOUSAKU ARCHITECTS(ノウサクジュンペイアーキテクツ)」の扉を開くと、その印象は一変しました。
※2017年7月時点の「JUNPEI NOUSAKU ARCHITECTS」の記事です。
はじめてオフィスを訪ねたとき、富士見台ストアーのレトロな外観からは想像もつかないほど、新しくてきれいな空間に驚かされました。
けれども椅子に座って一息つくと、ふしぎと古民家にいるような懐かしさを覚えたのです。
オフィスを見渡すと、壁には昔ながらのタイルがそのまま残され、室内に明るさと奥行き感を加えている採光窓も、当時のまま残されています。
スタッフの作業場には、手触りのいい畳が敷かれています。そして、いたるところに置かれた古い家具や道具たち。それらは目の前に建つ富士見台団地で使われていたものが多いそうです。
もとからあるものを活かしながらも、ただレトロなだけではない、新しさを感じさせるオフィス。この建築事務所が大切にしていることが、少し伝わってくるような気がしました。
「昔の富士見台ストアーはスーパーマーケットとして、多くのお客さんで賑わっていたそうです。けれども今はテナントもお客さんも減り、昔のものになってしまっています。それをもう一度掘り起こせたらいいな、と思ったんです」
そう話すのは、ノウサクジュンペイアーキテクツの代表であり建築家の能作淳平さん。
能作さんと富士見台ストアーとの出会いは、一体どのようなものだったのでしょうか。
能作さんは現在、富士見台ストアー向かいにある富士見台第3団地に家族で暮らしています。2014年の春にこの団地へ越してくるまで、国立とはまったく縁がなかったそうです。
「それまで都心で暮らしていましたが、子どもができたことをきっかけに、子育てに適した場所はどこかを考え直すようになったんです。初めての子育ては楽しみな反面、怖くもあり、いろいろなことを調べていましたね。そこで、これから家族で暮らしていくには都心ではなく郊外、妻の実家の近くで緑豊かな多摩地域が安心だろうと考えました」
能作さんは、「健やかな暮らしかたには、はじめに空間を整備することが大切」だと考えています。
まずは「子育て」「仕事」「遊び」を一つのスペースに完結できる住まいをつくるため、改修可能であることを条件に物件を探したところ、たまたま富士見台第3団地のリノベーション可物件を見つけたそうです。
そのご自宅にも、能作さんならではの数多くのアイディアを垣間見ることができます。昔ながらの押入れの形を残したまま仕事用のデスクとして活用する、和室の欄干や畳をリビングの椅子に活用するなど、懐かしさと新しさの共存は、オフィスで感じたものと同じもの。
入居から1年ほどは自宅の一部を仕事場にしていましたが、やがて子どもが1歳になり保育園に通いはじめたころ、「暮らしの割合が広がってきて仕事をするには手狭だな」と感じるようになりました。
そこで、団地の入居当初から気になっていた「富士見台ストアー」を借りることができないか思い立ったそうです。
ひとまず場所を借りるための手順を相談しようと、テナントとして入っていたタバコ屋さんと話をしていた時、そこをたまたま通りかかった「くにたちアートビエンナーレ」実行委員の方と繋がることになりました。
「それはすごい偶然でした。何が偶然だったかというと、その時富士見台ストアーはくにたちアートビエンナーレ2015の会場に選ばれていたため、当時はテナントの募集を行っていませんでした。でも、実行委員会では、この場所の改修を手掛ける建築家を求めていたんです」
アートビエンナーレで能作さんが関わった「アフターファイブガバメント」とは、「仕事とプライベートの間に人々の交流を生む場所」をつくることを目的としたアートプロジェクト。現在は終了しており体験することはできませんが、能作さんが目指した「仕事」と「遊び」が共存する場づくりへの思いを知ることができます。
「国立は、偶然性の高いまちだと思います。ひとつの出会い、ひとつのきっかけが、思いもよらない方向へと広がっていくような」
それは、国立のような“小さなまち”ならではの出来事かもしれない。そう能作さんは話します。
能作さんは、自らが仕事と暮らしの拠点を置く「富士見台」のまちにも興味が尽きないそうです。
富士見台は、富士見台団地の歴史とともに歩んできたまちでもあります。
高度経済成長期のさなかの1965年、富士見台団地完成によってまちの人口が増えたことが、国立市の市政が敷かれるきっかけになりました。
「大量生産・大量消費の時代と違い、今は質・個性が重視される時代。大学の建築科でも団地のことは学びましたが、経済成長の産物でもある団地にはこれまで量産的で無機質なイメージを持っていました。でも、自分がそこに身を置くことで印象がガラリと変わったんです」
実際に暮らしてみることで、約半世紀もの人々の暮らしの営みと時間の流れが生み出した、富士見台団地にしかない「個性」を感じ取ることができたそうです。
「時代の流れに取り残されていくものが持つ個性を、現代にも馴染むように紡ぎ出したい。富士見台はものすごくチャレンジしがいがあるまちだと感じています」
団地のリノベーション、富士見台ストアーの改修を経て、次にやりたいことは「富士見台に、コーヒースタンド兼ワインバーを作る」ことだそう。
「富士見台には若者がまだまだ少ない。けれども未来を考えた時、若者にも来てもらえるまちにしなければいけません。そこで、ただ新しいものを作るだけでは、多くの人に受け入れてはもらえない。今あるものを土台に、少しずつ良くすることで、若い人も徐々に富士見台を好きになってくれると思っています」
“懐かしいもの”が残っていると年配の人はほっと安心でき、今の時代に合う“新しいもの”があると若い世代が過ごしやすくなる。ふたつの要素をひとつの空間に共存させれば、そこはすべての年代の人々が心地よく過ごせる場所になります。
ないものを、今あるものでどう作れるか。
“ないものをないもので作る”再開発や、“あるものをあるもので作る”保守的な考えとも違う、“共存”をテーマにするノウサクジュンペイアーキテクツのこれからのリノベーションに、期待が高まります。
小学校の卒業文集で、すでに「将来は自分の家を自分で作る」と書いていた能作さん。
「母が設計の仕事をしていたので、実家にはインテリアデザイナーや家具作家さんがよく集まっていました。彼らはどこか普通の大人とは違う、楽しくてかっこいい大人に見えました。ギターを教わったり、建築の映像を見せてもらったりしながら、自分もこんなふうになりたいと、幼心にすごく影響を受けたことを覚えています」
やがて能作さんは大学の建築学科に進学します。建築学科を卒業した後の建築家としてのキャリアは、大きく2つの途に分かれているそうです。
「一つは、大手建築会社やゼネコンなどの組織へ就職すること。もう一つは、“アトリエ系”と言われる小さな建築事務所で、建築家の師匠のもとで修行をすることです。僕は成績が満遍なく良かったわけではなく、組織の中での分業制の仕事も向いていないと感じていましたし、設計でそれなりに評価をいただいていたので、得意分野で勝負したいとアトリエ系の事務所を選びました」
勤めたアトリエは丁寧な仕事を大切にしており、建築の精度を上げるために毎日たくさんの模型を作り込んでいたそうです。寝る時間をさいて仕事に集中し、ほとんどが苦しい作業の連続だったといいます。けれども、自分の手元で作っていた模型が現実の建物となり、人の流れやまちの環境を変えていくのを目の当たりにしたとき、「これはすごい仕事だ!」と実感したといいます。
アトリエ系の事務所で働く建築家の卵は、早い人だとおよそ4、5年ほどで修行期間を終えます。能作さんもそれに違わず、4年間修行を積んだあと自然に独立を決めました。
「3年ほど経験を積めばなんとなく仕事の全体像がつかめて、ひとりでも案件を手がけられるようになります」
現在、能作さんのもとで働いて2年目になる社員の菊池さんにもお話を伺いました。
「私は地元の熊本で就職活動をしていたとき、インターネットの就職掲示板で仕事の斡旋をしてもらっていたんですが、自分の将来を決めることなのになんだか受け身に感じて、嫌だなと思っていました。それで、自力で探していたときに、能作さんの会社のホームページを見つけたんです」
熊本大学の大学院を出たあと、上京した菊池さん。建築事務所の修行期間は、きついと感じることも多いのではないでしょうか。そう尋ねると、朗らかな笑顔が返ってきました。
「ここで働きはじめてから、アトリエ系の事務所によくある“ごはんも食べられない、納期が近づくと殺伐とする、睡眠がとれない”といったイメージがいい意味で覆されました。毎日、“人間らしい生活”をしているなと感じます」
その一番の特徴は、昼と夜に事務所のみんなで料理をしてごはんを食べることだそう。
「能作さんは料理もうまいんですよ。最近で一番美味しかったごはんは、ローストビーフが乗ったガーリックライス。私は食べることは大好きですが、これまでの人生で料理をほとんどしてきませんでした。でも、皆で料理をするうちに、手順がだんだん身についてきたと思います」
その“人間らしい生活”は、人々の暮らしに寄り添う建築設計にも活かされていく感覚なのかもしれません。
「昼間は建築家が淹れるコーヒースタンド、夜はソムリエでもある妻のワインバー。そんな場所を富士見台につくりたい」と、能作さんは新たな構想について話してくれました。
コーヒースタンドの内部には、建築家が打ち合わせなどを行えるオフィススペースがあり、コーヒーを買いに訪れる人もその様子を覗き見ることができるそう。
普段、私たちが建築家の仕事に触れる機会はほとんどありません。けれども、コーヒースタンドのような形でオフィスを外へ開くことで、建築家がどんな仕事をしているのか、まちの人たちが知るきっかけを生み出すことができます。
コーヒースタンド構想が現実のものになれば、子どもの頃の能作さんのように“かっこいい大人”の姿に影響を受けた子どもが未来の建築家を夢見る、そんな連鎖も起こりうるかもしれません。
昔からあるものと新しいものが共存しながら、暮らしが営まれていく富士見台を象徴するような建築事務所、ノウサクジュンペイアーキテクツ。
まちの未来へとつながる小さな種が、ここからのびやかに芽吹きはじめているような気がしました。
東京都国立市富士見台3-8-13 富士見台ストアー