2020年11月、東京都国立市に初となるブルワリー(ビールの醸造所)『KUNITACHI BREWERY』が誕生しました。
醸造長・斯波克幸(しば・かつゆき)さんの「国立市内外の人たちに親しんでほしい」という思いから、つけられた愛称は『くにぶる』。
くにぶるが目指すのは、お土産としての「地ビール」や、大手メーカーではない小規模ブルワリーというくくりの「クラフトビール」とも異なる、「音楽のように日常にひろがる」一つの文化を築いていくこと。
醸造だけでなく、世界観を伝えるビールラベルや制作物などのブランディングも、ブルワー(醸造士)が中心となり、クリエイターと協働しながら生み出しています。
くにぶる醸造長の斯波さんは、国立市の中心を横切るJR南武線・谷保駅から徒歩数分、住所で言うと府中市で生まれ育ちました。
「買い物といえば、歩いて行ける富士見台。府中市民でしたが、自分にとっての地元は谷保だ、という感覚を強く持っています」
音楽の道を志す、お酒の飲めない青年で、20代の頃は甘いカクテルをたまに飲むぐらい。苦味の強いビールは嫌いだったそうです。
音楽学校卒業後、楽曲制作やDJ活動をしながら楽器屋の店員、書店員や大型量販店の店員、介護職、清掃、公営住宅の管理……と色々な仕事を経験し、一年間の引きこもり生活も経験しました。それは、大きな転機になりました。
「文化はどこからはじまって、続いているのだろう、と降って湧いた興味の赴くままに日本の文化の根元にあるもの、日本人の精神の支柱にあるものを探り、現代から遡って縄文時代までを調べていきました。興味が高じて文字の研究者と共同研究を行ったこともありました。日本の歴史を伝える文献の中にはいつも、“発酵”文化がありました」
“発酵”を自分でも試すうちに、やがて全ての興味関心は“ビール醸造”に集約され、静岡市のブルワリー『AOI BREWING』で醸造士として働き始め、3年目には醸造責任者に。そして国立の老舗酒屋『せきや』の矢澤社長と出会い、「国立初のブルワリーの醸造長を探しているけど、興味はないか?」と声をかけられたことが、『KUNITACHI BREWERY -くにぶる-』のはじまりです。
国立初のブルワリーの誕生と同時に、くにぶるの顔となる3つの定番ビールが生まれました。
『1926』は、1926年に建てられ、2006年に老朽化により取り壊され、2020年のブルワリー立ち上げとほぼ同時期に再築された国立のシンボル『旧国立駅舎』がモチーフ。ドイツのケルン市で脈々と受け継がれている伝統的なKölsch Style(ケルシュスタイル)のビールです。
『るつぼヘイジー』は、『せきや』創始者のルーツでもある、なべややかんなどの生活用品を作っていた「鋳物士」の仕事道具「るつぼ」がモチーフ。ホップ由来の華やかさとジューシーさを引き出した人気のスタイル Hazy IPA(ヘイジーアイピーエー)を、北欧の伝統的な煮沸しない醸造方法で仕上げたRaw Hazy IPA(ロウ ヘイジー アイピーエー)です。※醸造開始当初はHazy IPA
『世界は点滅するモザイク模様のように』は、醸造長が思う「一つの“個”に中に無限に広がっている“多様性”」を、醸造方法によって香りや味わいが多様に変化するホップ「モザイク」で表現。モザイクのみで香り付けを行い、ベルギー酵母で発酵させたAmerican Belgo Style(アメリカン ベルゴ スタイル)によるSingle Hop Micro IPA(マイクロアイピーエー)です。※醸造開始当初はSingle Hop Session IPA
3つの定番ビールをはじめ、くにぶるの全てのビールに共通するのは「古いは新しい」という醸造哲学。基本的な醸造の考え方は変えず、よりくにぶるらしさを追求したブラッシュアップやマイナーチェンジを重ねています。
「日本酒やワインもそうですが、ビールもその土地で代々にわたって醸造方法が受け継がれ、その土地の人々に愛され続けてきたからこそ、続いてきたものです。くにぶるで“伝統的なビアスタイルのビール”をつくるときは、ビアスタイルガイドラインに敬意を払い、そこから大きく外れたビールを作ることはありません」
その土地に根ざす伝統をなるべく深く理解し、守りながら、新しい挑戦を重ねていく。そうすることで文化は途切れず続いていくと、斯波さんは考えています。
「一方でガイドラインにとらわれずに、新しいスタイルを創造していくことも大事だと思っています。日本独自のビアスタイルの創造にも、そうした文脈で強い関心を抱いています」
時代の移ろいとともに捉え直され、脈々と受け継がれていく様子は、音楽が愛されてきた歴史にも似ています。ビールもまた、あらゆるシーンや思い出の中に流れる音楽のように、作り手や飲み手の数だけ好みや世界観があり、インスピレーションが掻き立てられるものになっていくのかもしれません。
鋳物士の仕事道具が金属を溶かして混ぜ合わせる“るつぼ”なら、醸造士の仕事道具はモルト(麦芽)を糖化したり、ホップを混ぜ合わせて煮込んだり、酵母を加えて発酵させる“ケトル”や“タンク”。
醸造士は協力しながら1つのビールを一日かけて仕込み、その後は発酵タンクの中で1週間から2週間ほどかけて発酵して完成します。日本酒のように仕込み時期が決まっておらず、一年を通して仕込むことができ、次々に新作がリリースされるスピード感が、クラフトビールの面白いところでもあります。
くにぶるの醸造士、小針明日克(こばり・あすか)さんは、大学卒業と同時に醸造士を目指し、『ろまんちっく村ブルワリー』『CRAFTROCK Brewing』で経験を積みます。日本にはまだブルワリーがまだ少なく、醸造も少人数体制で、レシピもトップブルワーを中心に決めることが多いので、下積み期間は長かったそうです。
「醸造士の明日克くんとは、酒類総合研修所が主催する研修で出会いました。静かな人柄の中にビール醸造への探究心と研究心旺盛な熱さを持ち、多角的な視点で物事を観察・洞察ができ、仲間になってくれたら頼もしい、と思いました。衛生観念が近いと感じたことも大きくて、くにぶるの立ち上げの際に声をかけました」
DJをしていた斯波さんと、学生時代にジャズバンドでコントラバスを演奏していた小針さんには、音楽好きという共通点も。
小針さんは「20代のうちに、自分のレシピのビールを世に送り出す」ことを目標に掲げ、29歳の時に念願の自作レシピのビール『富士見通りStruttin’』をリリース。ビアスタイルは、初めて飲んだ時に衝撃を受け、醸造士を目指すきっかけとなったWest Coast IPA(ウエストコーストアイピーエー)です。
「初めて自分でレシピから考えた『富士見通りStruttin’』は、キラキラとした透明感と、いつまでも飲んでいたくなる“きれいなビール”を目指して醸造しています。“きれい”とは抽象的なのですが、私がそんなビールと出合った経験はいくつかあり、一口飲んだ瞬間に『全てのバランスの調和』を感じるのです。一つの要素が突出せず、カドが取れて丸みがある。まるで体の一部に馴染むかのように、どんどん飲めてしまう」
くにぶるのビールは、どれも味わい深く個性豊かなのに、クセが強すぎず気持ちよく飲める。そんな「日常になじむ」ビールです。
くにぶるではレシピだけでなく、ビールの名前、世界観も醸造士が作ります。
醸造士はディレクターとして「作りたいビール」や「作りたい世界観」のイメージを膨らませていくので、幅広い分野への興味と知見を広げながら、創造力を積み重ねています。
「ビールは飲まなければ美味しいかどうかはわからないけど、その前に世界観を伝えて興味を持ってもらうことはできる。飲んでも飲まなくても楽しめる(TO BEER OR NOT TO BEER)ように、全てのビールにビールイラストレーターのイソガイヒトヒサさんのイラストと、想像がひろがるような短いストーリーをつけています。その結果、世界観に共感してくれたクリエイターとのコラボなど、“味わう”以外の楽しみ方も広がるようになりました」
そんな二人に、醸造士の仕事で最も大切なことを伺うと、「一に清掃、二に酵母のお世話。作りたいビールに仕上がるかどうかは、酵母次第です。酵母が元気に活動して、 きれいで美味しいビールができるよう、清潔さや温度管理には常に気を配ります」とのこと。
華やかに見える仕事ほど、地道なことに丁寧に取り組めるかどうかが基盤になるもの。醸造士もまさに、職人の仕事です。
醸造哲学「古いは新しい」を体現する一つが、2021年の醸造開始当初からくにぶるが実践を重ねている「Raw Ale(ロウエール)」製法でつくるビールです。
Raw Aleとは、近代のビールの教科書に載っている「麦汁を煮沸する(BOIL BEER)」基本とは真逆の、「煮沸しない(NON BOIL BEER)」製法でつくられるビールの総称で、いくつかの共通する条件はあるものの、まだ厳密な定義はありません。
ノルウェーを中心とした北欧一帯とバルト三国の一部で今でも醸造されてるRaw Aleですが、ビール文化を古くまで紐解く中で、かつてはヨーロッパ全域で一般的につくられていたことも推測され、「かつて全てのビールはRaw Aleだったのかもしれない」と斯波さん。
「Raw Aleは、北欧で有志による調査と情報の発信が始まったのもここ数年のこと。私たちはRaw Ale研究の先駆者であり第一人者であるLars Marius Garsol(ラース・マリウス・ガーソル)をリスペクトしています。BOIL BEERがあまりにもスタンダードすぎて、一般での認知はまだあまり行き届いていませんが、Raw Aleに挑戦すればするほど、”この製法でしか表現できない味わい”を見つけることができます」
その土地の人々に深く愛されているからこそ、受け継がれてきたRaw Aleのように、くにぶるの「古いは新しい」未来への挑戦は、これからも続いていきます。
東京都国立市東3-17-28 ※少人数で醸造を行っているため、醸造所への訪問はご遠慮ください。