よく知っているはず、見慣れていたはずのものでも、違う誰かの視点や考え方を知ることで、自分の世界や価値観が広がっていく。
その感動は、誰もが一度は経験したことがあるはず。
国立駅から徒歩5分、新鮮な地元野菜が並ぶ直売所の隣の階段を上ったところにある『パク・へジョン韓国語教室』は、一橋大学出身の姉妹による自由なサロンのような教室。主宰の朴惠貞(パク・へジョン)さんが初めて日本を訪れたときも、一つの大きな感動があったそうです。
「日本語講師をしていた姉の惠美(ヘミ)が、日本へ短期留学していた頃、私は初めて日本へ遊びに来ました。そのとき、街のいたるところで目の不自由な方など障がいのある方をよく見かけて、とても感動したんです。当時の韓国では障がいのある方が外を出歩くことはまだまだ少なくて、多様性を受け入れる日本の社会に、強く興味を引かれました」
へジョンさんはその体験をきっかけに日本への留学を決意し、埼玉大学で障がい児教育を学び、一橋大学大学院の社会学研究科博士課程へ進学。ヘミさんも同じく一橋大学大学院の言語社会研究科博士課程を修了します。国立で暮らしはじめたのは2005年からだそう。
距離は近いけれど、成り立ちも文化も違う日本と韓国。それは、身近な人同士の関係にも似ています。
「暮らしや食、仕事や将来、生き方や終活など、その人や国を超えていろんな考え方を知ることは、自分の世界を広げてくれます。韓国語を話せるようになった後も15、16年と通い続ける人が多いのは、ここが自分の世界を広げる居場所になっているからなんです」
転がるように続いていく会話の中で、時折どっと笑い声が起こる。車座になって談笑する人々の間に、先生と生徒の垣根はありません。
「2017年の春、この国立教室を開きました。埼玉大学の学生だった頃、1998年から始めたさいたま教室は今では生徒たちが自主運営をしていて、教室というより“小さな共同体”のようになっています。国立ではどんな形になっていくのか、とても楽しみです」
授業では、「今週あった出来事」「最近行った場所」など、韓国語を使って情報を共有していきます。
「身近な出来事を韓国語のフレーズに落とし込んでいくことで、語学を早く身につけることができます。一人一人のスキルや目標設定に合わせて進めているので、はじめての方、もっとスキルを上げたい方、どちらにも対応しているんです」とへジョンさん。
場をあたためる“ワークショップ・ファシリテーター”のように、笑顔であいづちを打ちながら会話を盛り上げていくのはへジョンさんの役割です。
「ピアノを習ったことはありますか?」というテーマで対話をしていたとき、「ピアノはないけれど、ホルンなら」と答えた人に、みんなの興味が一斉に集まりました。「どうしてホルンを選んだの?」「どんな曲が吹けるの?」などなど。
韓国語を介して、思いもよらなかった相手の一面を知る時間は、とても刺激的です。
それから話題はみんなの学生時代の話になり、やがて、日本と韓国の歴史の違いにも。
「80年代の韓国では、家庭教師は法律で禁止されていたんです。高校生は大学進学のために早朝から深夜まで学校で勉強しなければならず、お弁当は3つ持って行っていましたよ。大学生も家庭教師のバイトをすることは禁止されていましたから、お金が稼げるバイトもあまりなくて、ほぼ毎日同じようなファッションの人もいました」
笑いを交えながらのへジョンさんの話に、「え〜」「嘘!」とみんなびっくり。1980年に始まった、塾や家庭教師などで入試試験の学習を行うことを禁じる「教育改革措置」は、2000年に憲法違反という判決で廃止されるまで続いたそうです。
自由に勉強、遊び、バイトができていた学生生活は、世界でも特別なことなのだと実感させられます。
ごくあたりまえの日常だと思っていた暮らしの中にも、文化による違いは潜んでいます。あたり前があたり前ではないことを別の視点からさりげなく知ることは、自分の世界や価値観が広がっていくような感動があるのですね。
「私は韓国のアイドルのファン。韓国語の歌詞やインタビューを自分でも読めるようになって、もっと理解を深めたいんです」と話すのは、平日は立川で働いている会社員のSさん。
「仕事で語学を習得しなければならず、日本語に近い韓国語を選びました」
そう話す人もいれば、
「私は印刷会社に勤めていて、昔から“文字の形”に興味があって。韓国旅行で目にしたハングル文字が造形的にとても美しいと思ったんです。ここで韓国語や文化を学ぶうちに、将来は韓国で暮らしたいという気持ちが高まっています」と話す人も。
興味の入り口にもそれぞれの個性が垣間見えて、とても面白いメンバーが集まっていることが伝わってきます。
「これまで日本語では話せなかったような本音も、ここで韓国語を使えば話せるという人も多いんです。最近気になっていること、ちょっとした愚痴、未来への希望や不安……ここで打ち明けるとみんな真剣に聞いてくれるので、意見をもらいながら新しい道がひらけることもあります」
そうへジョンさんが話すと、みんな頷きます。
あるときは「生き方」の話から、「死生観」などの深い話になることも。
「日本では、亡くなった人のためにお仏壇を置き、お盆になるとご先祖様が帰ってくるという風習がありますね。韓国では“死は、この世とあの世を綺麗に断絶するもの”という考え方があり、たとえ親でも亡くなった人のものは残さず全て燃やしてあの世へ送るのが、子孫の役割です。最近よく言われている“終活”も、それぞれの国によって価値観が違うんですね」
へジョンさん自身も祖国のお母様をとても大切にしているように、家族を大事にする想いは万国共通。けれども、その表し方や文化は多様なのだと知ることで、“終活”などで悩んでいる人も心が軽くなっていくそうです。
「生き方を豊かにするきっかけの一つが、ここでは“韓国語”なんです。ただ言語を学ぶのではなく、私は“韓国語はみなさんの一生の友達です”とよく話しているんですよ」
ヘミさんも、そう言って微笑みます。
これから、国立の色々な場所で企画、イベントなどを行なって、「韓国と日本の文化に触れられる、応接間のような居場所を作っていきたい」と、へジョンさんは考えています。
語学を介して、遊ぶように交流を楽しむうち、いつしか世界が広がっていく。
国立で、その入り口を体験してみませんか?
東京都国立市中1-1-1 202号室