国立で、匙をつくる [コラム]

国立で、匙をつくる [コラム]

枝に刃を入れ、掬い取る。手作業によって生み出されたひと匙。『匙屋』はその名前の通り、“匙をつくること”を生業とするご夫婦によって営まれています。

「国立は、等身大の小さな商売をはじめやすい街だと思います」

そう話すのは、匙の作り手、さかいあつしさん。匙屋のお店部門『sajiya studio』を運営するさかいかよさんは、「クラフトに携わっていると、関わる世界がどうしてもその業界に狭まってしまいます。国立にお店を開くことで、私たちの仕事や思いは世間に受け入れてもらえるのか、知りたいと思ったんです」と話します。

匙屋のスプーンは、手に取ると木肌のぬくもりが伝わってきて、素材がまだ生きているかのよう。握る、掬う、口元へ運ぶといった人間の手のひらの動きにも優しく馴染みます。

長く暮らした国立を離れ、現在は岡山の牛窓へ移転された匙屋さん。なぜ、さかいさんはこのような匙をつくり、それを仕事にして、やがて遠く牛窓への移住を決めたのでしょうか。

人生の疑問が積み重なり、次のステージへ

「私たちは、はじめからクラフトの世界に身を置いていたわけではないんです」と、かよさん。

作り手の子どもは、幼い頃から両親の姿に触れることで、自然と同じ道を歩みやすくなります。けれども、ふたりはごく普通の家庭で生まれ育ち、大学を卒業したら一般企業に就職し、やがて結婚して家庭を築いていったそうです。

「ずっと、それが当たり前の人生だと思っていました。けれども、漫然とサラリーマンをしていた25歳のとき、かよさんに“仕事を辞めてみたら“と言われて、はじめてその選択肢があるんだと気が付いて。これまで人生で抱いていた色々な疑問が、ひとつに繋がったような気がしました」と、あつしさんは話します。

ふたりで話し合い、直感を信じて、都心から東京都下の山深い地域へと移住。知人のつてで借りた住居は空き家の状態が長く、まずは住みやすい状態へと手を加えるところから、ふたりの山暮らしは始まりました。

山の水を近隣の人と分け合って大切に使うような暮らしに身を置き、その土地に馴染んでいくなかで、「これまでの20年余り知らずに過ごしてきたことを、イチからやり直したような感覚」を得たといいます。そこでようやく「ものづくりをしよう」という気持ちが芽生えたそうです。

村の自治にまつわる仕事を手伝ううち、自然と「匙作り」の依頼が増えていきました。やがて、作り手として個展や集まりに参加していくなかで、陶芸家や建築家、デザイナーなど、物作りを中心に国立での人の縁が繋がっていきました。

小さな世界の外側へ

「国立は小さな街で、どこになにがあるのかが頭のなかで俯瞰しやすい。作業に疲れた時の散歩にもぴったりですし、自宅兼アトリエを構えている人も多く、作り手にとって、とても暮らしやすい街だと思います」

自宅と作業場も兼ねたお店「匙屋」を国立に構えたのは、2006年のことでした。当時、作品の販売はセレクトショップやギャラリーに委託することが主流で、作り手が自分のお店を持つことは珍しかったそうです。

「山を降りると決めてから、都市にも緑や畑にも近い国立で、すごく自然な流れでお店を始めていました。そのうち、匙屋のものだけでなく、ほかの作り手の作品も紹介するようになって。僕が匙をつくり、かよさんがお店を運営する、という役割分担もできて、お店としての活動も増えていきました」

時を同じくして、『黄色い鳥器店』など現在の国立の街を象徴するようなお店も生まれ、やがて周辺には『LET’EM IN(レットエムイン)』や『circus』といった個性的な若い店主たちが、国立を選んで来てくれるようなりました。

牛窓への移住

「2013年、匙屋は国立から牛窓へ移転します」
その知らせには、多くの人が衝撃を受けました。

「国立にお店を構えて7年。また新たな人生の疑問がモヤモヤとわいてきたときに、東日本の震災も経験しました。物作りをする者として、これからどう活動していくべきか。それが整理できたとき、岡山の牛窓へ移住を決めたんです」

牛窓は、どこか昔の国立にも似ているそうです。個性的なお店はまだ少ないのですが、かつて貿易港として栄えた歴史や文化があり、街の可能性を感じるそう。

「自分たちが面白いと思うことをこつこつやっていると、同じような人たちが集まってきて、点と点がつながって面になるように、やがて面白い街になる。国立で感じたそのことを、牛窓でも実現していけたら」

それは、“まちづくり”というほど大それたことではなく、自分たちの暮らしの基盤を心地よく楽しいものへと整えていく感覚に似ています。

時折、個展やワークショップなどで国立を訪れている匙屋さん。移転してからも「国立らしい人といえば、匙屋さん」と言われる理由が、ふたりの笑顔から伝わってきました。

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「のびやかなはたらきかた」とは

人と仕事、人とまちとの間にあるものに焦点をあてたコラムです。

加藤 優 加藤 優

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